子どもの不登校 40代女性

2019/07/05

中学2年生の息子が昨年の2学期から完全な不登校になりました。

休みがちから、行かない頻度が高くなり、ほとんど行かなくなってしまいました。
友人、先生には恵まれ、何故こんなことになってしまったのか思い悩んで出口どころか入り口さえ見えなくなりご相談させていただきました。
「朝が辛そうで、部屋から起きてこずお昼くらいになると、祖母の作るお昼ご飯は食べにリビングに降りてきます。
息子に一体何が起きたのだろう、何がそうさせているのだろう、と母親の私が弱気になりました。」
そうお話ししたところ、最初に聞かれた内容は息子のことではなく、家族構成、夫婦仲はどうか、でした。私は息子の様子を聞かれるものだ、と思っていたので少し不安になりましたが、先生からの質問に答えていく中で徐々に私が心の奥底に隠し守っていたものを押し出される形になりました。
世間体、夫婦のコミュニケーションの無さ、他所の子どもとわが子を比較してヒステリーになる、息子には姉が居て、姉と比べてしまう、など様々な隠し通したい諸々が出てきました。
お恥ずかしながら、数回目でそれらが息子の不登校に関係していることが理解出来ました。
根気強く向き合っていく。受け止める。体裁を一旦横に置く。
容易いことではありませんでしたが、途中から「生きてくれている息子」に感謝の思いさえ湧いてくるようになり、本当の幸福というものが見えなくなっていたことに気づくことが出来ました。
「わが子のためと思い、歩む前から道の小石をいつも取り除いていたら、いざ小石が1個あってつまずいた時にどうなりますか?痛かったじゃないか、と親を恨みますね。自力で転んで自力で立ち上がり、小石を放り投げる子になってほしくありませんか?」などの例え方も分かりやすかったです。
夫と向き合わなかった息子の悩みも意地を張るのではなく正直に辛い、と話すことで、道筋が見えてきました。私自身がつまずくことを恐れていたのかもしれません。
だから世間体を気にして小石を取り除き、息子の心の葛藤に全く気付いていなかったのではないかと思いました。
また、前のような比較対象を探して嘆き悲しむことは無くなりました。「比較対象は無意味」という言葉に救われました。
それからは「普通はね・・」という言葉を使わなくなりました。
我が家は我が家流で良いのだ、と素直に受け止めれるようになりました。
その後もまた時間はかかりましたが、今は学校や周りの恩情に甘えつつ、無事に登校を再開できました。大人が思っているよりも子供はよーく大人を見ているのだ、と気づきました。
友人と笑ってくれていたら嬉しい、そう思えるようになった奇跡に感謝しております。