あるご住職の、命を救ったお話

2020/11/26

ある時、生きるも地獄、死ぬも地獄、と前が見えずに亡霊のように歩いていた30半ばの女性がおりました。
藁をもすがる思いでとあるお寺の門に立ち、ご住職が迎えてくださりました。

「何故、生きていると言うことは次から次へと試練が起きるのでしょうか、こんな人生なら早くお迎えが来てほしいです。自死の自信はありません。車で誰か私を轢いて殺してくれたらいっそ楽なのに。命なんてもう要らないのです」
と彼女は泣きながら言いました。
ご住職は優しいお顔で
「手のひらをご覧ください」と言いました。彼女は20cmほど顔から離して自分の手のひらを見ました。
「もっと顔の近くに手のひらを持って行ってください」と言われ、彼女は目の前に手のひらを持って行きました。
「何が見えますか?」「真っ暗で何も見えません」彼女は気の抜けた声で答えました。
「それが人生です」ご住職は優しく言いました。
「近くを見ようとすると見えなくなる、手相が見える位の程よい距離感を人は苦しめば苦しむほど失い、目の前が真っ暗になりますね」
次にお庭の、蓮の花のお話を始めました。
「お釈迦様が蓮の花の上にいらっしゃるのをご覧になった事がありますか?」
「はい、実家の仏壇で見ました」
「花と葉の下にある蓮の根をご存じですか?」「いいえ知りません」
「蓮根です」「え?」
そこから先のご住職のお話を書かせていただきます。
蓮根には穴があります。泥の中で育つ蓮根にとって、多くの穴は栄養を取り入れるための大切な穴だそうです。栄養である泥の中で、穴の空いた蓮根は一生懸命成長を続ける。
その泥はまさに今のこの混沌とした世の中と例えました。穴は人が生きるための呼吸であり、心に例えました。混沌としたこの世、その泥が栄養であるのだ、と。
コロナなどのウイルスや様々な病気で苦しむ人が居る今のこの世が泥であり、人間が何とも出来ないことがある、と言いました。今のこの世が生きる上で大切な栄養分なのだ、と言いました。
また、生きる全てに役割がある、と話しました。
お米にはお米の役割。お肉にはお肉の役割。野菜には野菜の役割。お肉は動物が育ち、その命を絶ち人の中に入り、お米のような生き方は出来ない。
そのように全ての生きとし生けるものにはお役目がそれぞれあるのだ、と言いました。それもこの世を生きる上で栄養を取り入れながら気づくことが出来る。
「生きる全てに役割?私のこの苦しみも役割ですか?いつになったら死ねるのですか?」
「そうです。痛い、痛いというお役目、100歳まで健康で生きるお役目、沢山の病気を経験して死の恐怖を実感されるお役目、家族が大きな病気をして死を身近に感じるお役目、それぞれ全てが役割です。
あなた様のお役目が終えたら、本当にご苦労様でした、とこの世を全うしたことになりますね。まだお役目を終えていないのですから今こうしてお話をされているのでしょう。」
彼女は気づきました。
目の前の思い通りにいかない人生に嘆いていたこと。妬み、憎しみ、苦しみ、自分自身で問題を作り、悩み事にしていたこと。
「私のお役目は何でしょうか?」
ご住職は相変わらず優しいお顔で
「今日、こうしてお話したことを何方かにお伝えください」

現在彼女は、40歳になりました。ごみを拾うこと一つに工夫を凝らしています。ただ、ただ、ごみを摘まむのは退屈だから目をつぶってトングで一発でキャッチ出来るか、身体をクルリと一回転させて即座にトングにごみを挟めるか、
何事も工夫を凝らし、出来ないことはありのまま受け入れ自分の生きている日々がお役目だ、と不平不満が無くなりました。生きようとする、まさに命を吹き返したのです。
仕事も他者と自分を比較し嘆くので無く、自分が好ましいと思える仕事に就き、5年めになります。

人は嘆くことが好きです。あらゆる不平不満を並べ、勝手に大問題にして、その大問題に対して、自分の思い通りにならない、と怒ります。そして嘆くのです。
程よく手のひらを見れる距離で世を見渡してみたら、お水が飲めて、雨風を凌げる屋根があり、息が出来ている、生きる根底に気づくことが出来ます。
程よく周りを見れる距離って大切ですね。